■アナリストについて

 投資理論、財務分析、経営者へのインタビューなどをもとにして、株式などの投資価値の分析を提供する職業のことです。多くの人は金融商品取引業者や運用会社の調査部門に所属しています。 不動産投資付近でみられる岩絵。反時計回りに描かれている。三か月、手、超新星などを描いている。 チャコ・キャニオンの中央部付近に位置するフンゴ・パヴィの遺跡。遺跡から外へ出るための階段。フンゴ・パヴィ(Hungo Pavi)は、ウナ・ヴィーダ(Una Vida)の北方2kmの位置にあり、周囲266mの規模をもつ。最初の調査によってフンゴ・パヴィの建物は4階建てで一ヶ所円形のおおきなキヴァを持ち地表に72ヶ所の部屋が造られたことが分かった。9世紀ないし10世紀ごろ建設されたと思われる。キン・ナハスバス(Kin Nahasbas)は、北のグレート・ハウス群に属する主な遺跡のひとつである。ウナ・ヴィーダのわずか北方にあり、北側にはメサがあってその麓に位置する。部分的に発掘調査がなされた。ツィン・クレツィン(Tsin Kletzin)は、Chacra Mesaの上に築かれ、カサ・リンコナーダの上流、プエブロ・アルトから南方3.7kmに位置する。ツィン・クレツィンは、ツィン・クレツィンの人々が生活するための水を供給してきたと考えられる壮大な土木構築物であるWeritosダムの近くに位置する。Weritosダムは豪雨によってもたらされた伏流水を貯めておく貯水池として用いられた。もし突然の洪水があれば膨大な量の水路が造られていき、ツィン・クレツィンの住民はダムを造り直し、その際に把握しうる範囲をさらってダムにせざるをえなかったであろう。チャコ・キャニオンの奥のほうへ行くとA.D.900年前後から造られ始めた最も古い三つのグレート・ハウス群のうちひとつのウナ・ヴィーダがある。 ウナ・ヴィーダは、同時代に構築された遺跡であるペニャスコ・ブランコやプエブロ・ボニートのように弧状ないしD字状のプランをしているものに分類できる。しかし、ウナ・ヴィーダは、構造的に「犬の足」と呼ばれる独特なものが必要だったことが特筆される。 ワラントの内部。チャコ・キャニオンでも奥まった位置にAD 1100年から1150年のあいだごろに建設された。ウィジジ(Wijiji、アカザ科の低木、グリースウッド(「油脂を持つ木」)にちなんでこう呼ばれる)は、グレート・ハウスの中では最も小さく、100くらいの部屋で構成される。1110年から1115年の間に建設された。ウィジジは、隣にあるグレート・ハウスであるウナ・ヴィーダから2kmの位置にありチャコ・キャニオンでも最も奥まった部分に孤立的に建設された。チャコ・キャニオンから直線的に北上するとサーモン遺跡やアズテック遺跡にみられるような集落がある。そういった集落は、A.D.1100年ごろから始まる湿潤期の30年の間に建てられた。チャコ・キャニオンの100km南方には主要交易路であるグレート・サウス・ロードに沿って別の集落群が位置している。そのうち、もっとも大きなものは、Kin Nizhoniであり、湿地帯のような場所のかなにある標高2,100mのメサの頂上に築かれた。 くりっく365の大キヴァグレート・ハウスは、チャコ・キャニオンの建築物や信仰をよくあらわしている祭祀センターであった。グレート・ハウスの形は、何世紀もの時間をかけて発展していったにもかかわらず、いくつかの主要な特徴は、変わらずに保たれてきた。特筆すべきなのはグレート・ハウスは、周囲で弧状になって高く張り出す構造があるということである。チャコ・キャニオンの遺跡は平均して200以上の部屋で構成されるが、なかには700に達する部屋をもつものがある。それぞれの部屋は、丈夫に造られており、アナサジ期に先行する時期に建てられたものは高い壁をもっている。チャコ・キャニオンの遺跡はよく設計されており、大部分ないし外側の袖になる円弧状の部分は、だんだんにつくられていったというより一気に建設されている。チャコ・キャニオンの家は一般的に南向きになっており密封された部屋ないし高い壁に囲まれた中庭(プラザ)部分をもっている。複数階に及ぶ構築物はたいてい4階か5階建ての高さで建てられており、一階にある部屋は直接プラザに面している。各階層の部屋の集まりは段々状に積み重ねられ、プエブロの後ろの部分が最も高くなっている。部屋はしばしば一つの組み合わせになっており、正面の部屋は後ろの貯蔵用に用いられたと思われる部屋よりも大きくなっている。 外為の内部へはいっていくための通路キヴァとして知られる儀礼的な空間はプエブロにある部屋の数に比例して造られている。平均すると小さなキヴァは、29の部屋につき一つ造られ、その大きさは、直径3.5mから6.6mくらいである[10]。小さなキヴァを造る分の部屋の集まりの9つ分ごとに一つの特大サイズのグレート・キヴァが造られる。グレート・キヴァには直径22m[11]に達するものもみられる。チャコ・キャニオンにみられるすべてのキヴァは、入口に向かう通路と入口の上に?石(リンテル)[12]あるといった建築的な特徴がある[13]。建物の壁の種類に単純さや複雑さがみられるものの、一義的にはグレート・ハウスの壁は芯の部分と表面のきれいに仕上げられた部分とで構成されている。壁同士の隙間の部分には荒石が充填される。荒石は建物の壁の芯の部分でも使われている。 建物の壁は小さな砂岩のかけらを土で塗り込めた薄い層でおおわれている。壁の表面に使われた石で特徴的な文様がつくられることがある。すべての壁について考えてみるとチャコ・キャニオンの建物には、113kmも離れた山地から人力で20万本を超えるような多量の針葉樹の木材が必要とされたと考えられる。 外為の北限に当たる場所には、チャコ・キャニオン中央部とは別のグレート・ハウス群がある。そのうち最大のものは、カサ・チキータ(Casa Chiquita)であって、雨が豊富に降った湿潤期にあたる1080年ごろに建設された集落である。カサ・チキータの構造は小さく正方形の断面である。さらには、中庭部分がなく以前に造られたキヴァを分割している様子がうかがわれる。渓谷の中央部地域のものよりも大きく正方形に近い石塊を用いて石積みがなされている。キヴァは北方のメサ・ヴェルデ伝統に似た形に設計されている。渓谷を3.2km下流へ行くとペニャスコ・ブランコ(Penasco Blanco)というチャコ・キャニオンの渓谷を見下ろす南岸の先端部分に弧状に築かれた構築物が造られた。時期的には900年から1125年の間であり5期に区分される。ペニャスコ・ブランコは壁画で知られ、1054年7月5日に観測されたかに星雲の超新星爆発の光景を記録したかもしれないと考えられている。 ウナ・ヴィーダにある岩絵。多くの人々の手によって書き直されたりしているのがうかがわれる。?左中央には「吠えている犬」が二つの長方形の犬の上に描かれる。中央左には、「手」、中央部の長方形の体の内部には「足」が描かれ、典型的なプエブロ族の岩絵といえる。大規模でかつ細部まで精密に設計されているような遺跡は、チャコ・キャニオンでは、1030年前後になってから初めて出現する。チャコ・キャニオンの人々は、天体の動きや幾何学的な配列、建物の外観を意識するとともに独特な公共建築物で構成される古代の都市を造りあげていた。研究者はチャコ・キャニオンにある遺跡は相対的に少ない人口しかなく一定の年ごとに行われる行事とか儀礼のために一時的により大きな集団が集まることによってできたと考えている。つまり、10000人くらいがくらせる施設があったが、実際に常時暮らしていたのは2000人ほどで、そういった特別な行事や儀式が行われるときに用いられた宿泊施設であった。より小さな遺跡は、明らかに居住性に関して特徴がありチャコ・キャニオンの中や周囲にあるグレート・ハウスの近くに散在している。チャコ・キャニオン自体は白道に沿っており、チャコ・キャニオンの集落の位置は天文学的な意味からその配置が考えられたと思われる。もしそうでないとしたら、チャコ・キャニオンにあるいくつかの重要な建物の配列の意味が解明しやすくなる。この時期前後に広義のプエブロ人の先祖であるアナサジの社会では人口の増加と建設活動が盛んになった。10世紀を通じてチャコ・キャニオンの建築技術は、周辺地域に徐々に伝播していった。A.D.1115年までにチャコ・キャニオンの建築的特徴をもった集落がサン・ファン盆地に65,000km2にわたって少なくとも70ヶ所つくられた。研究者の中にはそういった集落にみられる建物の機能について本来のグレート・ハウスといっていいくらい大きなものがあることを議論している。グレート・ハウスを思わせるいくつかの建物は、農村社会を超える段階のものであって、交易をおこなう場所か祭祀センターのような機能をもっていたのかもしれない。